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1万人のエイサー踊り隊、2010
8月1日に那覇市のメインストリート 「国際通り」 で行なわれた
2010 夏祭り in 那覇 「一万人のエイサー踊り隊」
に行ってきました

今回は迅速な動きで観客を魅了する創作エイサーの団体や、重厚な動きで昔ながらの
エイサー愛好家を釘付けにする青年会など、88の団体が国際通りを練り歩きました
沿道には地元のエイサー大好きな人や観光客、外国人など約10万人(主催者発表)が
繰り広げられる演舞に大きな声援を送っていました
エイサー
沖縄を訪れた事のある人なら、一度は耳にしたことがあるとおもいます。
エイサー とは、簡単に言えば沖縄の盆踊りのことです
しかし、ただ単純に盆踊りでは言い表せない深い歴史と文化・精神があります
エイサーの起源は「ニンブチャーウドゥイ(念仏踊り)」であると言われています
以前はニンブチャー(念仏僧)が人が死ぬと家に招かれ、鉦や太鼓を打ち鳴らし
念仏を誦しなばら踊るものだったそうです
その歴史は500年以上も前の「李朝実録」(1479年)のなかに当時の那覇の
記録として残っており、そのころが始まりだと考えられています
また、エイサーという呼び名は「おもろさうし」(琉球の古い歌謡集)の40巻から
きているという説や、「エイサー、エイサー、ヒヤルガエイサー」のような囃子(はやし)
からきているという説がありますが、どちらとも確証がなく実際の所は不明です

写真は昨年、那覇市の国際通りで行なわれた「一万人のエイサー踊り隊」より
名護さくら祭り
昨年の大晦日に沖縄気象台が桜の開花宣言を出してから約1ヶ月
沖縄本島各地で 「さくらまつり」 が開催され大勢の見物客で賑って
いるそうです
エンジョイホームが名護市大東で建築中の住宅の現場のすぐ隣に名護中央公園が
あり、1月30日~31日の間「名護さくら祭り」が開催されております。
現場担当にお願いしその風景を写真に収めてもらいました

沖縄の桜は「寒桜」の一種で「寒緋桜(かんひざくら)」と呼ばれる種類で、
もともと「寒緋桜」は沖縄に自生していないらしく、台湾から持ち込まれた
もののようです。花は鮮やかなピンク色をしているのが特徴です
フーヌユーの季節
設計士のNが国頭村辺土名に住宅を建築する場所の視察に行った帰り、
宜名真トンネルを過ぎたあたりで珍しいものを見つけ撮影してきてくれました。

1万人のエイサー踊り隊
8月2日(日)那覇市の国際通りで行われた「1万人のエイサー踊り隊」
は今回で15回目を向かえ90団体約4800人が参加
全国10箇所の地域の参加者と同時演舞を繰り広げた「エイサーページェント隊」
は約1200人が動きをそろえて国際通りを練り歩きました
皆既日食
約9割の欠けを沖縄で観測することが出来ました。

太陽が欠け始めてから廻りはだんだんと薄暗くなって
いき、心持涼しくなった気がしました。
神秘的ですね
慰霊の日
慰霊の日は、1945年6がつ23日に沖縄戦の組織的戦闘が終結
したことにちなんで、琉球政府及び沖縄県が定めた記念日です。
1945年4月1日にアメリカ軍の沖縄本島上陸によって本格的に開始
された沖縄戦は、第32軍司令官牛島満大将(当時は中将)をはじめ
とする司令部が自決した日をもって組織的戦闘が終結したとされて
います。
琉球新報社が沖縄県内4年生総合5大学の学生1,129人にアンケート
を実施したところ、沖縄戦を学ぶことは99.4%が「大切」と答えた一方、
牛島満司令官が自決した日として定められた「慰霊の日」の由来を
「知らない」と答えた学生が29.4%に上ったほか、今年沖縄戦集結
から何年かという質問で「64年」と正しく回答できたのは61.6%に
とどまった。
新型インフルエンザの影響
沖縄県の調査によると新型インフルエンザ流行に伴う、沖縄行き旅行を
中止、延期した学校・団体は139団体(16,540人)となった。

本土復帰37年
5月15日は沖縄の本土復帰の日です。
太平洋戦争後、アメリカに占領されていた沖縄は1969年の日米首脳会談で
当時のアメリカ大統領リチャード・ニクソンが安保延長と引き換えに沖縄返還を
約束しましたが、公選の行政主席である屋良朝苗や復帰賛成派の県民の期待
とは裏腹に米軍基地を維持したまま「72年・核抜き・本土並み」の変換が決定し、
1972年5月15日に本土に復帰しました。
オクラレルカ
沖縄本島北部の大宜味村喜如嘉に行ってきました。お目当てはもちろん
畑一面を覆う「オクラレルカ」の花です
オクラレルカはアヤメ科の植物で切花や葉を生け花の材料とするアイリスの仲間だそうです。






















